型番 |
978-4-7807-1969-7 |
販売価格 |
3,850円(税350円)
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「私が参加し、実践してきたヒマラヤ登山については、1973年のチョモランマ隊(第2次RCC隊)以外は、隊としての公式報告書が出版されており、特に私がリーダーを務めた3つの隊(隊長だった1976年の日印ナンダデヴィ縦走登山隊、1984年の日本ネパールカンチェンジュンガ縦走登山隊と、登攀隊長だった1971年の東大チューレンヒマール隊)ではその編者も務めたのだが、それらでも立場上、基本的には東大山岳部ないし山の会(いわゆるTUSAC)なり日本山岳会といった、組織の隊による公的な記録として、客観的になし得る記述と、その背後にあった考え方とを前面に押し出してきたつもりだ。」
「本書では当時の隊のメンバーや関係者にはあまり迷惑を及ぼさない範囲で、しかしアマチュアの書き手として許されるはずの一定の範囲内での身勝手さを前提に、私のヒマラヤ登山の軌跡と、そこで考え感じたことを率直に記してみようと思った。」
「私が実際にヒマラヤヘ行くようになったのは、いわゆるヒマラヤ登山の『鉄の時代』に入ってからなのだが、その前段階としてヒマラヤに憧れ、そのための本格的な訓練を始めた小学生から高校生にかけての時期は、その『黄金時代』であった。そのことが私のヒマラヤ登山やそれに対する意識と密接に関わっている。
ちなみにヒマラヤ登山の『黄金時代』とは、標高8000メートル以上のジャイアンツの初登頂を明確な目的として登山がなされ、そしてそれが成し遂げられた1950年代を、また『鉄の時代』とは、その後、個々の登山者がさまざまに個別の、多様な目標を掲げてヒマラヤへ挑むようになった時代、言い換えれば統一された目標が失われた時代であって、年代としてはおおよそ1960年代末以降を指している。また『黄金時代』は、そのジャイアンツ初登頂を目指して派遣された登山隊のほとんどが、多かれ少なかれナショナルチームの性格を持ち、そこに参加できるのはエリート登山家に限られていたのに対し、『鉄の時代』になると、ヒマラヤ登山が大衆化し、商業化していったという事実がある。」(「はじめに」より)